全米のみならず世界中を笑いの渦に巻き込み一世を風靡した ジェリー・ルイス&ディーン・マーチンのコンビによる「底抜けシリーズ映画」。「底抜け~」だなんて、この頃の邦題は 実に気が利いていたなと感じる。
🏌ザ・キャディ~底抜けやぶれかぶれ
原題:The Caddy / 米国映画 / 1953年
ザ・キャディ | ざっくりあらすじ
かつてのプロゴルファーを父に持つハーヴェイ・ミラー(役ジェリー・ルイス)は、いい腕前を持つゴルファーとして、ゴルフメーカーで働いていたが、対人恐怖症のためプロゴルファーを目指すことはなかった。
すると偶然出会ったジョー・アンソニー(ディーン・マーチン役)のゴルフの才能に気づき、自分はキャディとして彼を担ぎ上げツアートーナメントへの出場を目指すこととなった…
ザ・キャディの見どころ | PGAツアープロのレジェンドたち
PGAツアー往年の名選手たちの貴重な記録映像でもある「ザ・キャディ」。
続々と登場する本物のPGAツアー レジェンド選手たち
この映画で特筆されるのが、1953年当時のPGA一流選手たちがカメオ出演して実際にショットを放ってるシーンだ。主な出演ツアープロ選手は、ベン・ホーガン、サム・スニード、バイロン・ネルソン、ジュリアス・ボロスというそうそうたるメンバー。
とくにジェリー・ルイスが実際にベン・ホーガンと絡むシーンは見どころで、ベン・ホーガンの演技(?)が見られるぞ。
この作品を見て痛感したこと。ゴルフ界のレジェンドたちの細かい表情やスイングの映像を鮮明に見られることが、どれだけ希少な価値があることなのかを思い知らされるのが本作「ザ・キャディ」だ。
当時の彼らのスイング映像は、他にもたしかにあるにはあるのだが、ニュース映像など残されてる記録映像はどれも不鮮明なものばかり。
しかし、当たり前の話だが『ザ・キャディ』は映画フィルムで撮影されてるため当時としてはトップレベルの解像度映像なわけである。
「底抜けシリーズ」のなかでも貴重なPGAツアーレジェンドゴルファーたちの姿を記録した「ザ・キャディ」は、珠玉の作品と言える。
そういう意味でも、この作品で往年の名選手たちの豊かな表情やスイングを存分にお楽しみいただきたい。
最も登場回数が多いベン・ホーガン
ツアー大会でのプレー中、感情をまったく表に出さず正確無比なショットを繰り出すベン・ホーガンを人々は、「鉄人」、「アイスマン」、「ザ・ホーク(鷹)」と呼んだ。
打って変わって本作『ザ・キャディ』では、ホーガンの素敵な笑顔を多く見ることができる。
これほど満面の笑みを浮かべるベン・ホーガンの映像は極めて珍しいので必見だ。
サム・スニードは、サムと呼ばない
日本では、サム・スニードとして知られているが、劇中で実際には 「サミー・スニード!」、と紹介されている場面があるので面白い。
ザ・キャディ | キャスト
ジェリー・ルイス(ハーヴェイ・ミラー役)
ディーン・マーチン(ジョー・アンソニー役)
ドナ・リード(キャシー・テイラー役 ジョーの恋人)
バーバラ・ベイツ(リサ・アンソニー役 ジョーの妹でハーヴェイの恋人)
🏌️♂️ オフ・ショット~選手たち | Off Shot Players
PGAツアーのレジェンドゴルファーたちの輝かしい戦績
それでは最後に。出演したゴルファーたちが何故にレジェンドなのか、彼らの栄光と戦績を振り返ってみよう。(表記の年齢は映画撮影した1953年時)
ちなみに、ベン・ホーガン、サム・スニード、バイロン・ネルソンの3人は同い年だ。
ベン・ホーガン(41歳)| Ben Hogan(1912 – 1997)
通算 69勝 | PGA 64勝 (歴代4位) | うちメジャー 9勝 | 賞金王 5度 | 米国 |
マスターズ 2勝 | 全米オープン 4勝 | 全米プロ 2勝 (PGA選手権) | 全英オープン 1勝 |
1951年、1953年 | 1948年、1950年 1951年、1953年 | 1946年、1948年 | 1953年 |
本作「ザ・キャディ」が公開された1953年はまさに、ベン・ホーガンが3大メジャータイトルを事実上、グランドスラムした年である。なぜ事実上となのかというと、1953年までは全米プロゴルフ選手権と全英オープンは同時期開催であったため、両方への出場は不可能であった。
実際1953年は全米プロが7月1日~7日。全英オープンは、7月8日~10日であった。タラレバであるが、もしホーガンが全米プロゴルフ選手権に出場できていれば、1930年ボビー・ジョーンズ以来の同年グランドスラム(※3)を達成できたであろうと言われている。それほどこの年のホーガンは神がかっていた。
結局このベン・ホーガンの一件によって、翌年1954年から全米プロゴルフ選手権が開催日を後ろへずらす形でスケジュールを妥協。1954年から現在に至って、世界4大メジャー大会へ出場可能となった。しかし、同年グランドスラム達成者は、未だ一人も現れていない。
(※3)ボビー・ジョーンズのグランドスラム
1930年にボビー・ジョーンズが達成した4大メジャー大会は、全米オープン選手権、全英オープン選手権、全米アマチュアゴルフ選手権、全英アマチュアゴルフ選手権である(彼はアマチュアであったため、全米プロゴルフ選手権は出場できなかった)。
このときから年間メジャー制覇を「グランドスラム」と呼ぶようになった。同年をもって、ボビー・ジョーンズは 競技大会からの引退を表明、まさに絶頂期にスパッと身を引いたのである。
その後、ジョーンズは マスターズ・トーナメントをコースともども立ち上げ、招待選手のみによるゴルフ選手権として1934年から発足させることとなる。
サム・スニード(41歳)| Sam Snead / Samuel Jackson Snead(1912 – 2002)
通算 168勝 | PGA 82勝 (歴代1位タイ) | うちメジャー 7勝 | 賞金王 3度 | 米国 |
マスターズ 3勝 | 全米オープン 2位 | 全米プロ 3勝 (PGA選手権) | 全英オープン 1勝 |
1949年、1952年 1954年 | 1937年、1947年 1949年、1953年 | 1942年、1949年 1951年 | 1946年 |
バイロン・ネルソン(41歳)| Byron Nelson(1912 – 2006)
通算 64勝 | PGA 52勝 | うちメジャー 5勝 | 賞金王 2度 | 米国 |
マスターズ 2勝 | 全米オープン 1勝 | 全米プロ 2勝 (PGA選手権) |
1937年、1942年 | 1939年 | 1940年、1945年 |
ジュリアス・ボロス(33歳)| Julius Nicholas Boros(1920 – 1994)
通算 25勝 | PGA 18勝 | うちメジャー 3勝 | 賞金王 2度 | 米国 |
全米オープン 2勝 | 全米プロ 1勝 (PGA選手権) |
1952年、1963年 | 1968年 |
ハリー・クーパー(49歳)| Harry Cooper(1904 – 2000)
通算 36勝 | PGA 30勝 | イングランド出身 のちに米国籍 |
マスターズ 2位 | 全米オープン 2位 | 全米プロ 3位 (PGA選手権) |
1936年、1938年 | 1927年、1936年 | 1923年 |
ジミー・トンプソン(45歳)| Jimmy Thomson(1908 – 1985)
通算 5勝 | PGA 2勝 | スコットランド出身 のちに米国籍 |
全米オープン 2位 | 全米プロ 2位 (PGA選手権) |
1935年 | 1936年 |