「パットイズマネー」。ゴルフをしてる方が一度は聞いたことのある格言のようなこの言葉。
アメリカの誰かが言ったようにも聞こえますが、「パットイズ マネー」は 和製英語です。
実際の語源は ‘Drive for show, putt for dough’。
意訳すると「ドライバーは観せるために、パットはお金のために」。
‘dough(ドゥ)’は 生地のことですが、生地は クッキーなどを作るための元であることから「お金」を意味する使い方もあるようです。
「パットイズマネー」は ‘putt for dough(パットは お金のために)’から引用したと思われますが、この和製英語を一番最初に発した人物は 定かでありません。
ドライバーは観せるために、パットはお金のために by Bobby Locke
‘Drive for show, putt for dough’
この言葉を残した人は ボビー・ロック(1917 – 1987)という南アフリカ出身で不出生のプロゴルファーです。
彼が活躍したのは第二次世界大戦前後の時代、1931年~1959年の間です。
1931年~1937年はアマチュア選手として南アフリカにおける大会で優勝を総なめし、プロ転向後の1938年から1959年までに通算85勝もしている南アフリカのレジェンド。
かの言葉を残してるように、ボビー・ロックは 卓越したパターの名手として大会ごとにグリーンを制しました。
左からベン・ホーガン、ボビー・ロック、ジミー・デマレー(1947年)
ボビー・ロック、アメリカへ渡る | PGAツアー初参戦
1947年、南アフリカで開催された試合にアメリカから出場していたサム・スニードがボビーの活躍に目を留め、彼にPGAツアーへの出場を提案します。
これがきっかけとなり、主戦場を米国に移したボビーは 怒涛の快進撃を見せます。
米国へ渡った最初の年、1947年はシーズン途中の5月から出場したにもかかわらず、7月27日までの5週間の間に 6勝をあげるという無双ぶりで、この年の賞金王ジミー・デマレーに次ぐ2位という成績を残し、PGAツアー競技者のプロのみならず全米のゴルフファンを度肝を抜いてしまいます。
1949年には 米国ニューヨーク州、ワイカガイル・カントリークラブで行われた「グッドオール・パームビーチ・ロビン大会」で、その後PGA最多優勝記録を打ち立てることになるサム・スニードやディフェンディングチャンピオンのハーマン・バロン、当時すでにPGA通算52勝をあげていたバイロン・ネルソンたち猛者を相手にボビーが優勝と遂げてます。
左からボビー・ロック、ハーマン・バロン、バイロン・ネルソン、サム・スニード。
強すぎるがゆえの試練 | たった4年間のPGA
こうして1947年~1950年の4年間出場したPGAツアーでは 15勝(うち全英オープン2勝含む)をあげ、全米中に圧倒的な強さを見せつけました。
ところが米国PGAツアーは ボビーに対して翌シーズンの出場禁止を言い渡します。
ツアー側は ボビーが事前連絡なしで、いくつかのトーナメント不出場やイベントの不参加があったためと説明してますが、1948年マスターズチャンピオンのクロード・ハーモンは、「ロックは単に強すぎたんだよ。ツアー側は 彼を出場禁止にするしかなかったんだ」と、あるゴルフパーソナリティに語ってます。
PGAツアー側は 翌年1951年にボビー・ロックの出場禁止を解除しますが、彼は二度とアメリカでプレイしないと心に決めてしまいます。
全英オープンで通算4勝 | 米国離脱後に2勝
ボビーは 全英オープンで通算 4勝をあげてます。
米国PGA時代の 1949~50年と二連覇後、一年を挟んで米国へのうっぷんを晴らすかのように 1952年にも制覇。
その5年後の1957年(当時 39歳)にカムバック優勝。
ヨーロピアンツアーでは 通算 23勝をあげてます。
これだけの実績がありながらも、日本であまり知られてないのがちょっと寂しいです。
41歳でキャリアを終える
ボビー・ロックは 1959年に不慮の交通事故で大ゲガを負ってしまいそれ以降、後遺症に悩まされるようになりこの年の優勝が最後となってしまいます。
まだまだ活躍できる 41歳だったことを思えば大変残念なことです。
その後 彼は 自宅のあるヨハネスブルグで過ごし、1977年に世界ゴルフ殿堂に選出され、1987年の69歳でこの世をさりました。
2019年にタイガー・ウッズが日本初開催となった「ZOZO チャンピオンシップ」で優勝し、ついにサム・スニードの持つPGAツアー通算82勝に並びましたが、もしボビー・ロックがあと数年間アメリカPGAツアーに参戦していたら、スニードの82勝はなかったかも知れませんね。
また逆に、もしスニードが 南アフリカでロックに声をかけていなかったとしたら、ロックがあげたPGA通算15勝のうちのいくつかはスニードに優勝が転がり込んだ可能性があったかも知れない、などと想像すると人と人が出会う縁と運命がいかに不思議なものかと感慨深くなります。