日本人のプロゴルファーを語るとき、忘れてはならないのが中村寅吉です。
戦前はもとより戦後復興中の日本の地に、ゴルフを大衆化させるきっかけをつくったツアープロ 中村寅吉の活躍があります。
♂中村寅吉(92歳没/1915 – 2008)/ 日本レギュラーツアー 25勝(うち日本オープン 3勝 / 日本プロ 4勝)/ 日本 シニアツアー 12勝 |
中村寅吉(42歳※)は1957年10月24日~27日、日本で初めて開催された 第3回カナダ・カップ(国別対抗戦:現在のワールドカップ)に出場し、個人・団体ともに優勝しました(ゴルフの国際試合で日本人初)。
団体戦では小野光一(38歳)と組んで、2位米国チームのサム スニード(45歳)とジミー デマレー(47歳)組に9打差をつけて圧勝。
※( )内の各人の年齢は1957年当時。
個人戦では2位タイのサム スニードに7打差をつけ優勝。
30カ国60名が出場した米国をはじめとした並み居る外国勢を相手に快進撃を続けた日本人プロゴルファーの活躍に日本中の国民が大歓喜しました。
大会開催前の同年、7月に先んじて日本プロゴルフ協会(JPGA)が設立されてます。
日本初のテレビ中継されたゴルフ大会~霞ヶ関カンツリー倶楽部
霞ヶ関カンツリー倶楽部といえば まさしく2020年 東京オリンピックのゴルフ競技が開催される埼玉県にあるゴルフコースです。(COVID 19の影響で実際に開催されたのは無観客競技で、2021年)
1957年 このカナダ・カップは、プロ野球や大相撲以外でゴルフの試合としては日本で初めてテレビ中継(全国放映)がなされました。
これによってゴルフ人気に火が付き一気にアマチュアゴルファーが日本中で誕生するきっかけとなり、これまた日本中でゴルフ場の建設ラッシュが始まったのです。
このカナダ・カップには南アフリカの若き日のゲーリー プレイヤーも参戦しており、個人戦 2位タイでホールアウトしています。
この国際試合で個人優勝した中村寅吉は翌年の1958年、日本人として初めて米国マスターズ・トーナメントに招待され出場を果たしています(結果は41位でホールアウト)。
日本ゴルフの歴史上、さまざまな『日本人初』の冠がついて回る中村寅吉は 1981年に65歳で出場した関東プロシニアゴルフ選手権では、初日に65で回るエージシュートも達成(日本人初)。
べらんめえ口調で闊達に話すその人柄から「寅さん」の愛称で慕われました。「男はつらいよ」の寅さんよりも前のことです ^^。
中村寅吉の体躯は身長158センチ、体重58キロと小柄だっただったため飛距離を出すために”スウェー打法”を編み出し、愛弟子だった樋口久子に引き継がれます。
樋口久子は1977年の全米女子プロゴルフ選手権で日本人として初優勝を飾り、 2003年には 日本人初の「世界ゴルフ殿堂(特別功労賞)」入りを果たしてます。
この日本人初という栄冠も中村寅吉から受け継いだものかも知れませんね。