ゴルフは パットイズマネーと言われたりしますが、それを一番体現して見せてくれた試合が1988年、日本オープンゴルフ選手権の最終日最終ホール18番におけるジャンボ尾崎と中嶋常幸の死闘でした。
コースは 現在まで7回、日本オープンゴルフ選手権が行われた東京ゴルフ倶楽部。
発足当初の東京ゴルフ倶楽部は1914年、東京に初めてできたゴルフコース(当初9ホール)として知られ、1926年に18ホール完成。現在は駒沢オリンピック公園となっており、東京ゴルフ倶楽部は 埼玉県狭山市柏原に移転し現在に至ります。
日本オープンゴルフでの死闘 | 18番ホール
この第53回 日本オープンゴルフ選手権の優勝賞金は 1,000万円。副賞としてメルセデスベンツ 190E2.6、コルム社スイス時計(18K協会マーク入り)、キリンビール大瓶3年分でした。
首位のジャンボ尾崎を1打差で追う中嶋常幸の死闘が繰り広げられた18Hを再現してみました。
18番ホールは左ドッグレッグ先のフェアウェイへ置くのが理想のティーショットを右のラフへ。
対する尾崎は 理想通りほぼ左端のフェアウェイへ280ヤードのビッグドライブ。
首位のジャンボ尾崎を 1打差で追う中嶋常幸は 1打目を右の深いラフに入れてしまい 残り200ヤードの 2打目はショートしてまだ70~80ヤードの距離を残し苦しい展開に。
残り160ヤードの良い位置につけていたフェアウェイからの2打目がグリーンに乗るもピンまで20メートル ショートし、尾崎も苦戦。
中嶋の 3打目がグリーンを捉えるもショート。ピンまで 登って下る 7メートルを残し、万事休す。
ジャンボ尾崎は あと2パットで上がれば優勝という残り20メートルのパットをピン手前 70センチまでなんとか寄せる。
7メートルを入れなければ優勝の可能性が消える中嶋のパーパットを固唾を飲んで静まりかえる観客。
ところが中嶋がその難しいパーパットを執念で沈め1打差を守ったままホールアウトし、尾崎に猛烈なプレッシャーをかける。
70センチのパットを沈めれば優勝というラストパットでアドレスを取った尾崎に、まるでイップスが突然憑依したかのようにガチガチに固まってしまう。数秒後、ふっとアドレスをほどき、硬直した右手をほぐすようにブラブラと振ると、観客に笑いとどよめきが沸き起こる。
すでにホールアウトして優勝の可能性が薄い青木功も 苦笑い。全く対象的に苦悩の色を浮かべる尾崎。
仕切り直しで、尾崎は再びデジャブのように同じことを繰り返した。
3度めの正直で、なんとかパッティングしカップイン。直後、天を仰ぎ安堵の表情に満ち溢れる尾崎。
しかし尾崎は パッティング直後、顔でボールを追いかけてる(2コマ目の写真)ことから、打った瞬間も不安のどん底にいたことがわかる。「入ってくれ~」という気持ちでいっぱいの長い長い1秒間だったことだろう。
ホールアウト直後、優勝を讃えながらも肩をもんであげる優しさを見せる青木。そして伝説のAON 3ショット。
それにしても この幾度も繰り返されたAONのバチバチな攻防戦は 日本のゴルフにとって一番エキサイティングで幸せな時代だったような気がします。